信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・1(最上義守の夢)
「・・・殿」
わしは夢を見ていた。
天文3年の正月の夢じゃ。
あの頃、われら最上は伊達家の傘下にあり、わしは年始の挨拶に米沢城に行った。
わしはまだ齢10の時じゃ。
当主・稙宗の顔が、優しげなのだが奇妙に恐ろしゅうて、伴の頼長にしがみついてしまった自分の姿が見えた。
「・・殿」
おお、これは天文11年の夢じゃ。
伊達家でお家騒動が起こり、わが最上家が独立を決意した日のことじゃ。
家臣の定直や頼長に酒を嫌というほど飲まされたの
「殿」
「うむ。」
わしはまた評定中に寝てしまったようじゃったが、周りは静かなものだし、わしも動じぬ。
議案は、われらが最上領の北羽前の統一に向けて、ついに兵を動かすというものだ。
わかっておる。
「北の小野寺家を攻めれば、今ならば間違いなく安東舜季は救援にくるでしょう。安東家に戦を仕掛ける大義名分は、この時をおいて他にはありませぬ。」
筆頭家老の氏家定直が、静かに微笑みかけたので、わしは意を決した。
「頼長、小野寺を攻めよ」
「おう!」
山形城内に、出羽随一の猛将の声が響き渡った。
最上家は、北羽前、今の山形県にある。
1551年4月の当主は、最上義守。
当主の最上義守は、2歳にして伊達稙宗に擁立された傀儡城主で、最上家は伊達家の傘下にあったが、天文の乱【天文11年から17年までの6年間(1542年~1548年)、伊達氏当主・伊達稙宗と嫡男・晴宗父子間の内紛に伴って発生した一連の争乱。】で、伊達家から独立した。
伊達家は今の山形県南部(南羽前)から宮城県に渡って勢力を保持する大名で、本城を2つ保有する強国だ。
最上家は天文の乱では、前半は稙宗陣営につき、この乱は最終的には晴宗の勝利に終わったために、その後は伊達家とは関係が悪化した。
1551年4月の時点では、最上家は本城の山形城と支城の天童城を治めていた。
本城があるので大名格だが、全国的に見ればかなり弱い大名だ。
2017年2月21日 火曜日 15:30
家臣団は少人数ながらも、粒ぞろいだ。
氏家親子は文官、天童親子は武官だ。
その中でも、天童頼長の戦闘力は、当時東北では一二を争うほどの強さだ。
目下の敵は、2つの支城を持つ豪族・小野寺家と、その北の羽後を領国とする大名・安東家だ。
ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は山形県を検索してみましたら、16,211 件の画像がヒットしましたよ。
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