信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・56(木下秀吉とねねの結婚)
永禄4年7月。
九州での島津家と竜造寺・大友連合軍の戦いは、島津家の侵攻が九州北部へと進み始めていた。
永禄4年7月。
島津家の伊集院忠朗隊は竜造寺家の肥前鹿島城へ侵攻を開始した。
大村城救援に赴いていた大友家の部隊は、大村城防衛を諦め、肥前鹿島城へ向かった。
大村城には、すでに島津家の後詰隊が続々と到着し、戦力的には到底勝てない状態になっていたからだ。
永禄4年7月。
天童頼長隊は九戸城へ逃げ込み、再出陣して迎撃に出てきた南部晴政隊を撃破した。
腰兵糧も乏しくなっていた天童頼長隊は、九戸政実隊らが後詰で向かってきていたが、その到着を待たずに強行で城攻めを行った。
天童頼長は考えていた。
今の最上家では、俺は戦において唯一無二の存在だ。
だが、南部家が降ればどうだ。
俺なくとも、最上家はやっていける。
俺はもう若くない。
命を削っても、南部家を早く下させなければと。
永禄4年7月。
天童頼長隊が九戸城の総攻めを始めたという報告は、三戸城を包囲していた安東愛季隊にも伝わった。
安東愛季は、先の山形城での防衛戦において、不用意な撤退を行い、最上家譜代の武将から信頼を失っていた。
それゆえに野辺地城攻略後も、すぐに兼平綱則が城主として派遣されていた。
安東愛季は考えた。
最上家の勢いは止まらぬ。
安東家が生きていくためには、最上家について行くしかない。
生き残った兵は1000にも満たぬ。
南部家の本城である三戸城を落とせる兵力ではない。
だがここで包囲を続けては、最上家から信頼は勝ち取れない。
安東愛季は天を仰いだ。
天が安東家を必要とするならば、きっと生き残るであろう。
任せた。
そう思って、愛季は全軍に三戸城を指さし号令した。
「死ねよ、者ども!我らが死ぬべき時は今ぞ!」
とある日。
織田家本拠ーー
木下秀吉:おーい、利家ー!
前田利家:おう、秀吉か。一体どうした?
木下秀吉:じ、実はな・・・・・・。わしも嫁を貰うことにしたんじゃ。
前田利家:おお、そうか!そいつはめでたい!で、どんな嫁だ。
木下秀吉:そりゃもう、わしには勿体ないくらいの別嬪で。わしには、勿体ない、くらいで・・・。
前田利家:なんだ、やけにしょげてんな?女遊びができなくなるのが辛いのか?
木下秀吉:そんなわけ!いや、そりゃ別なんだが、嫁の母親が大反対では・・・・・・。
木下秀吉:なんとか許すだけ許してもらったんだが、結局あの貧乏長屋で祝言を・・・・・・。
前田利家:あ、あの足軽長屋でか!?
木下秀吉:そ、そうなんじゃ。そこで利家、お前を男と見込んで頼みたい!
前田利家:・・・・・・。
木下秀吉:わしらの仲人をしてはくれんか?
こうして木下秀吉とその妻ねねは、秀吉の住む足軽長屋で祝言を上げ、二人の仲人は前田利家が務めた。
木下秀吉:ね、ねね!お前を必ず、三国一の幸せ者にしてやるからな!
ねね:何を大げさな事言ってんの、お前様。あたしは今も十分に幸せ者だよ。
前田利家:はぁ・・・・・・。まぁ、めでたいってことだな。
まつ:ねねさん、何か困ったことがあったら、いつでも言ってくださいね!
ねね:うんうん!お世話になります!
秀吉とねねは当時にしては珍しい、恋愛結婚だと伝わり、ねねの両親の反対を押し切っての祝言であった。
また、この際に仲人を務めた利家夫婦と秀吉夫婦は、この後長きにわたって家族ぐるみの付き合いを続けたとも伝わる。
ねね:でも、浮気したら信長様に言いつけますからね。
木下秀吉:は、は、はい・・・・・・。
永禄4年8月の最上家の評定。
九戸城の陥落は時間の問題で、三戸城の攻略には後詰が必要との報告がなされた。
伊達家との停戦期限は、あと一か月しか残されていなかった。
永禄4年8月。
安東愛季の三戸城への猛攻は、最上家譜代の武将から信頼を取り戻すには十分なものだった。
最上家は横手城より延沢満延隊兵1600を増援に向かわせた。
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