信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・7(善徳寺での三国同盟)
羽後国の本城である檜山城を落とし、安東家を滅ぼして、戦国大名として名乗りを上げた最上義守だったが、日本全土でみれば、それは小さな動きでしかなかった。
天文22年8月、北信濃における葛尾城をめぐる長尾家と武田家の戦いは、武田家の勝利に終わる。
景虎と晴信の直接対決まであった大戦であったが、越中から転戦してきた景虎の兵力は万全ではなく、激しい衝突は回避して、早々に退却した。
九州における大友・大内連合軍と阿蘇・伊東連合軍の戦いは、恐ろしいものだった。
圧倒的に兵力で有利な大友・大内連合軍が瞬く間に阿蘇家の城を次々と攻略した。
阿蘇家は大友家とはかつては同盟関係にあったが、戦国の世は人の絆もはかないものにした。
天文22年8月、阿蘇家はなすすべもなく、大友家によって滅ぼされた。
またこの戦いにおいて、阿蘇家の城を全て大友家が接収したことは、大内家と大友家の間に遺恨を残すことになった。
大内家は当主・義長が、大友家からきた人物だったために、領土交渉において強く出ることが出来なかったのである。
天文22年8月のころ、全国最大の版図を持つ大名は、房総半島の里見家を滅ぼした、関東の北条家だった。
その石高は130万石まで増え、最大動員兵力も4万人に近くなっていた。
北陸地方において、畠山家と本願寺家の戦が始まっていた。
兵力に劣る畠山家は長尾家と同盟を結び、援軍を求めた。
中国地方においては、尼子家へ攻勢をかける毛利家が、翁山城を攻略した。
これにより毛利家の領土は、東方への道が開かれることになった。
最上家が獲得した檜山城は、規模の大きな本城であったが、立地が本拠の山形城から遠かったために、天童頼長や氏家守棟に、その統治が委任されていた。
氏家守棟:殿や父上は檜山城を手に入れたことで満足しているようだが、
:このまま時を過ごしては南部家の侵攻を待つばかりだ。
:南部家との陣取り争いはすでに始まっている。
:頼長様。我らは領土拡大を進め、
:より有利な体制で、南部家と相対すべきではありませんか?
天童頼長:見えておるな、守棟殿。頼もしい。
:これより急ぎ独鈷城を手に入れて、
:殿には、浅利家が自ら降伏したと報告させてやろう。
天正22年10月、最上家の天童頼長と氏家守棟は、当主・義守の指示もないまま、浅利家の独鈷城へ侵攻を開始した。
最上家の本拠である山形城では開発が進んだが、領土拡大の方針がとられていたので、氏家定直によって、戦力を増強する施設が多く作られてはいた。
しかしその子・守棟は、その上を行く知略で、最上家へ貢献していたことを、父である定直はまだ知らなかった。
天文22年11月。
関東地方に置いて圧倒的な戦力を持つ北条家は、関東地方北東部の宇都宮家や古河足利家への侵攻を開始した。
天文22年11月、本願寺家の畠山家への攻撃は収まった。
救援に駆けつけていた長尾家は、撤退する本願寺家を追撃した。
天文22年12月、最上家の天童頼長は独鈷城を攻略し、浅利家は滅亡した。
しかし天童頼長と氏家守棟は当主・義守に、浅利家は自ら降伏し、当家の力になりたいと申し出ていると報告した。
そういう経緯もあり、この時最上家に下った3名の武将は、取り立てて有能というわけではなかったが、その後は最上家内では重用された。
とりわけ門脇政吉は、本城の開発記録などに幾度となく名を残した。
天文23年1月。
駿河・今川家。
街道一の弓取りと言われる名君・今川義元の指揮の下、広大な領土を持ち、大兵力を擁していた。
地理・交通の面でも上洛に労力は要せず、天下に最も近い大名と言っても過言ではなかった。
今川家にとっての悩みの種は、上洛途上の敵国ではなく、背後の二大勢力であった。
甲斐の武田家は義元の亡き妻の実家ではあるが、その縁戚同盟を推進した武田信虎は、嫡子・晴信に当主の座を追われていた。
また相模の北条家には、義元の妹が嫁いでいたが、武田家との縁戚同盟を機に国境争いが再燃。
当主・氏康は義元が裏で画策した、河越城の戦いを鮮やかな奇襲で切り抜け、勢力拡大の気配を見せていた。
今川家重臣・太原雪斎は、義元の上洛を実現に導くため、この二大勢力との交渉を水面下で進めていた。
今川義元:三国で盟を結ぶ、と?
太原雪斎:いかにも。義元様が上洛を致すための我が秘策。
:あと一押しで完成いたす。
今川義元:ほう、それでこの義元に何をしろと?
太原雪斎:会っていただく。
今川義元:会う・・・・・・?
太原雪斎:場所は善徳寺。
:義元様には、そこで武田晴信、北条氏康と、腹を割って話していただく。
今川義元:なるほど・・・・・・これはまた大胆な。
:げに面白き策よ、雪斎。
:さすがは我が師であるな。
こうして駿河国・善徳寺に三国の当主が集い、伝説的な会盟が執り行われた。
今川家、武田家、北条家は互いに縁戚になり、今川家は西、武田家は北、北条家は東への領土拡大に専念することが可能になった。
戦国の世の大きな歯車が、今まさに回りだそうとしていた。
ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は
「善徳寺」を検索してみましたら、13件の画像がヒットしましたよ。
http://amanaimages.com/keyword/result.aspx?Page=Search&KeyWord=%91P%93%bf%8e%9b&ImageID=
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