信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・16(お市の結婚)
美濃を取り巻く情勢が変化してゆく中、織田信長は新たな同盟相手を探していた。
そんな折、信長が目をつけたのは、北近江を治める浅井家であった。
交通の要衝である小谷城を同盟勢力にすることで、上洛経路の安全を確保するという目的はもちろん、英邁として噂に高い浅井長政を盟友として取り込む目的もあった。
浅井家を縁戚とすべく、信長は絶世の美女とうたわれる妹のお市を長政に与える決意をした。
織田信長:市よ、この盟は上洛への近道、ひいては天下のために避けては通れぬ道だ。
:浅井家中には、先代の久政を始め、朝倉家との盟約を重んじ、
:我らを快く思わない者たちも多い。
:それゆえ我らと浅井との盟には、揺るがぬ証が要る。
お市:それが私の役目・・・・・・
:わかりました。兄上。
:これも武家の娘の定め。
:お家の大事が成せるのでしたら、市は、喜んでお力になりましょう。
こうして、お市は長政に輿入れし、新進気鋭の若武者と、絶世の美女との婚姻は、民衆の祝福と羨望を一手に集めた。
また織田と浅井という両大名の盟約は、周囲の大名の注目を集めたのであった。
この婚姻を浅井家側で決めたのは、長政の父であり、当主の久政だった。
北近江で勢力を拡大するには、朝倉家の後添えだけでは確かに弱く、織田家との婚姻は名案に思われた。
浅井家との婚姻は、すぐに力を発揮した。
今川家との戦いの背後をついて斉藤家が織田領内に侵入した時、すぐさま浅井家は斉藤家の大垣城へ侵攻した。
それにより斉藤家は織田家への戦を取りやめねばならなかった。
最上家の領内開発は、順調に進み、本城の山形城から支城へと拡大していた。
筆頭家老の氏家定直も手馴れてきたせいか、普段よりも人手をかけずに仕上げたりもした。
最上家は庄内地方を手に入れたことで、強大な長尾家とも領土を接することになった。
長尾家との良好な関係を維持し、交易を目指すために、外交政策も開始した。
斉藤家の領内に東から侵入していたのは武田家だった。
西からは浅井家の攻勢をうけていた斉藤家は、織田家への侵攻をとりやめ、防衛に専念することになった。
そして斉藤家の山城は本城・支城とも堅く、そう簡単には落ちないように思われた。
あの男が現れるまでは。
上洛を目指していたのは、今川義元や織田信長だけではなかった。
戦国最強の大名と言われ始めた武田晴信も、またその一人だった。
そして武田晴信が、隣国の斉藤家の混乱を見逃すはずはなかった。
天文24年7月。
武田晴信は美濃に向けて進軍を始めた。
武田家が上洛に向けて動き出せたのにはもう一つ理由があり、北方の宿敵であった長尾家が、北陸で本願寺家と戦を本格的に開始したからだった。
天文24年7月ごろの勢力図をみておこう。
我が最上家は石高32万石、兵力1万を擁するようになっていた。
近隣の南部家は25万石で兵力1万、伊達家は62万石で兵力1万7千、長尾家は70万石で兵力2万5千だった。
また全国の有力な大名を見てみると、佐竹家が36万石で兵力1万、関東の覇者・北条家が174万石で兵力5万4千、武田家が62万石で兵力2万6千、今川家は弱体化し45万石で兵力1万4千、松平家が22万石で兵力6千、織田家が41万石で兵力1万4千、斉藤家が42万石で兵力1万2千、本願寺家が62万石で兵力1万7千、朝倉家が33万石で兵力1万2千、浅井家が8万石で兵力6千、三好家が117万石で兵力2万8千、尼子家が30万石で兵力1万2千、毛利家が47万石で兵力2万、大内家が44万石で兵力2万3千、大友家が82万石で兵力2万3千、龍造寺家が30万石で兵力1万2千、島津家が56万石で兵力2万となっていた。
ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は
「小谷城」を検索してみましたら、169 件の画像がヒットしましたよ。
http://amanaimages.com/keyword/result.aspx?Page=Search&KeyWord=%8f%ac%92J%8f%e9&ImageID=
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