「順理則裕(じゅんりそくゆう)」 「3101 東洋紡(株)
東洋紡株式会社は、繊維を中心に化成・バイオ・医薬など高機能製品の開発・製造を行う、日本の企業です。
本社は大阪府大阪市北区堂島浜にあります。
1882年(明治15年)創業の日本の紡績業界の名門としてその名を知られているが、現在では繊維以外の部門が高い割合を占めています。
一時期「ゆたかな未来のパートナー」をコーポレート・スローガンに掲げていた時期もあるが、2017年1月現在は「Ideas & Chemistry」です。
旧社名は東洋紡績(とうようぼうせき)だが、2012年(平成24年)に従来の通称を正式社名とする社名変更を実施しました。
現在はフィルム・機能樹脂等が収益柱です。
エアバッグの原糸で世界首位になっています。
社史を見ていきましょう。
沿革
1879年(明治12年) - 山辺丈夫(初代社長)が渋沢栄一・藤田伝三郎・松本重太郎等財界人の援助により、紡績事業計画を策定します。
1882年(明治15年) - 東洋紡の基盤となる大阪紡績株式会社を設立します。
日本初の本格的な紡績会社として操業を開始します。
1886年(明治19年) - 三重紡績株式会社を設立します。
1888年(明治21年) - 金巾製織株式会社を設立します。
1906年(明治39年) - 金巾製織と大阪紡績が合併します。
1914年(大正3年) - 大阪紡績と三重紡績が合併して東洋紡績株式会社が設立されました。
1927年(昭和2年) - レーヨン事業に進出します。
1949年(昭和24年) - 株式を公開しました。
1966年(昭和41年) - 呉羽紡績を合併します。
2010年(平成22年) - 3月1日に東洋化成工業を合併しました。
同社の精密化学品事業本部となりました。
2012年(平成24年) - 創立130周年を機に正式社名を東洋紡株式会社に変更しました。
合併沿革
三重紡績(明治19年6月創設~大正3年6月に大阪紡績と対等合併して東洋紡績株式会社になる)三重紡績所(明治13年4月創設~明治19年7月の三重紡績に吸収合併)
伊勢中央紡績(明治29年2月創設~明治30年2月に三重紡績に吸収合併)
伊勢紡績(明治27年9月創設~明治34年2月に三重紡績に吸収合併)
尾張紡績(明治20年3月創設~明治38年10月に三重紡績に吸収合併)
津島紡績(明治27年3月創設~明治39年9月に三重紡績に吸収合併)
浪華紡績(明治20年4月創設~明治32年6月に西成紡績所に改称する)
西成紡績所(明治32年6月創設~明治39年12月に三重紡績に吸収合併)
知多紡績(明治29年8月創設~明治40年8月に三重紡績に吸収合併)
桑名紡績(明治29年1月創設~明治40年8月に三重紡績に吸収合併)
下野紡績所(明治18年1月創設~明治20年6月に下野紡績に改称)
大阪紡績(明治15年5月創設~大正3年6月に三重紡績と対等合併して東洋紡績株式会社になる。)大阪織布(明治20年5月創設~明治23年10月に大阪紡績に吸収合併)
伏見紡績(明治28年12月創設~明治33年5月に平安紡績に吸収合併)
平安紡績(明治28年9月創設~明治37年2月に神戸紡績に改称)
神戸紡績(明治37年創設~明治38年5月に大阪紡績に吸収合併)
金巾製織(明治21年8月創設~明治30年2月に神戸紡績に吸収合併)
宇和紡績(明治21年6月創設~明治38年4月に白石紡績所に改称)
白石紡績所(明治38年4月創設~明治40年4月に大阪紡績に吸収合併)
事業内容を見ていきましょう。
繊維事業を出発点に、化成品、機能材、バイオ・メディカルへと事業領域を拡大してきた歴史があり、2001年(平成13年度)以降は非繊維部門の売上高が50%を超えています。
各種繊維工業品、合成樹脂およびその成形品、各種科学工業品ならびに生化学品、医薬品および関連商品製造・加工・販売、電子機器、理科学機器、医療用具およびその関連機器。
各種プラントおよび機器の設計・製作・販売。
各種技術・情報の販売。
東洋紡株式会社@girlsplus
スーパーの食品を包むフィルムの3つに1つは東洋紡のものだそうです!
マジか。
ちなみに「順理則裕(じゅんりそくゆう)」とは、 「理にしたがえば、すなわちゆたかなり」ということで、東洋紡の企業理念です。
投資判断ですが、時価総額は売上高の半分で、営業利益率は7%です。
これだけ見ると割安感がありますが、売上高は減少傾向にあります。
チャートを長期で見ますと、仕込みの山が出来ていまして、現在はボックス相場ですが、基本は上に行きたいのだと私は見ています。
信用倍率は1倍くらいですが、買い残が増えやすい傾向にあるようです。
割安感はあり、仕込みの山がありますし、私の投資判断は買いです。
出来高は嘘をつかない、です。
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