オリジナル小説『株式投資家の暮らしと夢』2
人生は生まれながらにして不平等だ。
金持ちの家に生まれて生涯遊んで暮らせる人もいれば、内戦国で物心ついたころから死の恐怖におびえてやっぱり死んでいく人もいる。
この日本においても、その不平等は変わらない。
美人に生まれる人もいれば、顔をそむけたくなるような人もいる。
良い会社に就職出来る人もいれば、生まれた時から一流企業には入れない人もいる。
人生や世の中のことがある程度わかってくると、それは本人の努力ではどうにもならないものなのだと気づく。
人の幸福は、生死や苦痛に関わるものでなければ、自分自身である程度はコントロールできるものであるが、やはり社会における相対的な影響は避けることは出来ないだろう。
周りが金持ちで、自分だけ極度に貧乏なのに幸せを感じたら、それは一般的には狂人というだろう。
しかしそういう不平等を逆転するチャンスは、世の中にはいくつかある。
宝くじなどはその代表的なもので、これは国家も認める公式の逆転のチャンスだ。
ただ確率的にいえば99%以上の人は、宝くじは買わなきゃ当たらない(大儲けという事)が、買っても当たらない。
もし自分の子供が宝くじに人生をかけるような生き方を選ぼうとしていたら、多くの親はやめておけというだろう。
私もそう思う。
私は思い出す。
昔、私の中学時代の教師が、「学歴社会はみんなは嫌だろうが、これは公平なんだよ」と言った言葉。
学生時代に努力して、スキルや資格を身に着ければ、貧しい人も立派な人間になれるという話。
これは事実だ。
確かにそうなのだが、暗記力や家庭環境という不平等から、その恩恵を受けれない人は多い。
実際に有名大学に合格する子供の親を調べたら、同じ大学卒である確率は極めて高いという現実を、多くの人は知らされていない。
現実的には学生時代の努力や選択で人生を変えられる人は、3割いるかどうかだろう。
7割の人は、統計的にそうなるだろうという大人になっていく。
私も当時は自分なりに勉強して大学は出たが、俯瞰して見れば統計的な確率の中に入っただけだと、今ならわかる。
宝くじが1%未満の成功率で、学業が30%くらいだとしたら、もう少し高確率で人生を変えられるチャンスがあるものはないのか、考えねばならないだろう。
そもそも学業による成功のチャンスは、学生の時しか存在せず、生涯にわたってあるチャンスではない。
100%の確率で人生を成功に導く方法などはありえない。
しかし60%の確率で、人生を好転させる方法はある。
それが「株式投資」だ。
株式投資とは何か。
それは自分ではない、他人(企業)に賭けて利益を得る手段だ。
株主の一人として、企業の所有権を保有する、これが株式投資だ。
自分がどんなにダメ人間でもかまわない。
例えば 「8306 (株)三菱UFJフィナンシャル・グループ」 に採用されるだけの優れた人物はこの世界にはあまりいないが、この企業の所有者(株主)には、誰にでもなれるのだ。
https://ameblo.jp/kurasitoyume/entry-12278235149.html
就業などは得手不得手や生まれ持った能力から、そもそも実行不可能なものはたくさんあるが、株式投資はどんな企業の株式も買うことが出来るのだから、可能性は無限大だ。
まずはこのことを頭に叩き込まなければならない。
「株式投資で人生を成功させる可能性は無限大である」と。
しかし無限大ということは、マイナスの可能性もまた同様にある。
会社が倒産して、投資金額を焼失する可能性もある。
私は60%の可能性で、株式投資で成功させることが出来ると先に書いた。
これからこの小説を通して、60%の成功確率に到達する道を紹介していく。
お前自身は株式投資で成功したのか?という疑う声もあるだろう。
設定では株で財産を失って、今では微々たる現物株で遊び、あわよくば小説で儲けたいという話ではなかったのかと。
この疑問に対してはこう答えたい。
成功にも度合いはあると。
100億円儲けるのも成功だし、1億円儲けるのも成功だ。
たった100万円儲けるのだって、成功と言えるだろうと。
株は投資金額が大きければ大きいほど、大きな損益が出る。
私がここで最初に手にする成功は、小さなものかも知れない。
ただ身の丈に合った成功を繰り返せば、私の人生の時間が許すならば、それは大きな成功の道中でしかない。
楽しみにして欲しい。
外ではゴミ収集車が来たようだ。
今日はプラスチックの日だ。
最近はセミの鳴き声で目が覚めるので、朝は6時には起き、すでにゴミは出している。
世間ではお盆休みも終わり、多くの会社員が仕事を再開しているが、私はこうして家で小説を書いている。
これは株式投資のおかげだ。
この後、少し二度寝もしたい。
そんな生活が出来るのも、株式投資のおかげだ。
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