信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・3(最上家の初陣)
北羽前統一に向けて動き出した最上義守。
まずは小野寺家の真室城を攻略するため、近隣の諸勢力を味方につけることにした。
林崎衆と新庄衆を味方につけることに成功した。
天童頼長率いる兵1500人と天童頼貞率いる兵700人が、青沢峡に向けて進軍。
目的を怪しんだ鮭延貞綱は、真室城より打って出て、迎撃を開始した。
ここに最上家と小野寺家の戦が始まった。
氏家定直:殿、我らがこの乱世で生き抜いていくためには、まず城下を栄えさせることこそ肝要ですぞ。
氏家定直:我らの城下は人も少なく、他の国に比べても、貧しく劣っております。
氏家定直:まずは、我らが兵を支えるためにも、城下を富み栄えさせましょうぞ。
最上義守:そのつもりだ。頼んでよいか、定直。
氏家定直:かしこまりました。富国強兵を行いましょう。
山形城の石高を4万石にし、商家を35軒にし、常備兵を3500人に増やしましょう。
天文20年7月、最上家の天童頼長は、真室城を攻略した。
氏家守棟を城主に据えて、一旦撤兵した。
関東では河越夜戦で勝利した、北条家の勢いが止まらず、豪族の太田家のいる岩付城へ侵攻していた。
「地黄八幡」の闘将・北条綱成に総勢2500人もの兵で三方より攻めかかられては、戦上手と言われた太田資正でもたった500人の兵では防ぎきれぬと思われ、岩付城の陥落も時間の問題と思われた。
そして1か月後の9月には落城して、太田家は滅亡した。
弱き者は、瞬く間に強き者に滅ぼされた。
8月には九州の秋月家が大内義隆に滅ぼされ、その義隆も家臣の陶隆房に討たれるという事件があった。
9月には、末森織田家が家督を継いだばかりの織田信長に滅ぼされ、上田長尾家は本家・長尾家に滅ぼされた。
10月には、川内畠山家が根来衆とも言われる鈴木家に滅ぼされた。
そして東北北部には、最上家にとって看過できない勢力が出てきていた。
南部晴政率いる南部家である。
その家臣団の屈強さは、奥州探題の伊達家をもしのぐと言われ始め、9月に浪岡家が滅ぼされてからは、ますます勢いが強まった。
関東地方では勢いの止まらない北条家に、房総半島の支配者・里見義堯が宣戦布告。
兵5500人を率いて三浦半島に上陸した。
迎え撃つ北条家は兵約5000人。
勝敗はいかに。
ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は三浦半島を検索してみましたら、428 件の画像がヒットしましたよ。
http://amanaimages.com/keyword/result.aspx?Page=Search&KeyWord=%8eO%89Y%94%bc%93%87&ImageID=
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