信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・4(氏家定直の戦略と天童頼長の戦術)
天文20年11月、いよいよ最上家は小野寺家の横手城を攻略するため、羽後に侵入する。
天童頼長:氏家殿、安東は出てくるだろうか?
氏家定直:出てこなければ、横手錠を落とした後に、我らが羽後に侵攻する口実を失う。
氏家定直:両国が停戦を結んだという情報はある。
氏家定直:来るはずだ。
間者:安東舜季が檜山城から兵およそ1000を率いて出陣した模様です!
氏家定直:かかったな!
三浦半島での里見家と北条家の戦は、北条家の勝利に終わった。
信濃では武田家が着々と力をつけていて、戦国最強の戦闘力を有しているのではないかという話も、巷では上がり始めていた。
南部晴政は西陸奥の浪岡御所へ侵攻し攻略した後も、ほとんど休まずに陸中国の雫石御所に侵攻。
九州北西部では少弐家より独立した竜造寺家が、隆信の代になり、急速に勢力を拡大していた。
最上家総勢3000人対小野寺・安東連合軍1500人による、横手城付近での戦い。
最上家は氏家守棟と天童頼貞の部隊が壊滅するなど敗色濃厚となったが、天童頼長隊が一端城から離れ連合軍の挟撃をかわしてから再度攻撃をかけると、連合軍は崩壊した。
東北地方南部では、伊達家が着々と勢力を拡大した。
天正21年1月、小野寺家は最上家によって滅ぼされた。
横手城主に白鳥長久が一旦はなったが、しばらくしてのちに天童頼長が務めた。
この時捕虜にした鮭延貞綱と小野寺輝道は、最上家の家臣団の一員になり、ともに宿老として活躍することになる。
武田家の信濃侵攻は、東部戦線は長尾家が介入して、失敗が多かった。
中国地方では強国・尼子家の備後国の本城である比熊山城を、毛利家という新興の勢力が奪うという事件が起きる。
最上家は安東家にその後執拗にゲリラ戦を仕掛け、交戦状態を維持しながらも、本城の山形城では兵力の増加を急いだ。
ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は広島県を検索してみましたら、10,981 件の画像がヒットしましたよ。
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