信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・5(北条家VS里見家)
各地の戦はますまず激しさが増してきていた。
しかしそれは、一部の地域では戦火の拡大というよりは、戦国の世が終わりに向かって動き出しているようにも思えた。
里見家に三浦半島へ侵攻された北条家であったが、天正21年4月、返す刀で房総半島に侵攻を開始した。
その兵力は1万人を超えていたので、三浦半島への侵攻に失敗した里見家にはとても迎え撃つ兵力はなかった。
天正21年4月、伊達家は二階堂家を滅ぼした。
三春城の田村家にも、蘆名家の助力を得て侵攻しており、その勢いを止められる勢力は、もはや近隣には見当たらなかった。
関東や東北では戦国時代は終息に向かう機運があったが、九州ではそうではなかった。
天正21年5月、少弐家はかつては臣下であった龍造寺家によって滅ぼされた。
下剋上である。
天正21年6月、田村家は伊達家によって滅ぼされた。
この戦で蘆名家は多くの戦死者を出したが、城は伊達家がものにした。
伊達家の勢いは蘆名家をも飲み込んでいた。
氏家定直:殿、城下も栄えてまいりましたな。この度の富国強兵は成功しましたな。
:これなら兵を集め、我らが領地を広げるのも夢ではございませぬ。
:城下の民もそれを望んでおります。民を豊かにし、その住む地を増やす。
:これこそ、乱世に生きる大名の役目でございます。
氏家定直:殿、我らの領地はいまだ狭く、
:城下を栄えさせたとしても、養える兵士には限りがありまする。
:このまま南部家と伊達家に挟まれて、座して死を待つのではなく、
:隣国を攻めとりましょう。
:国を奪い、領地を広げるのです。
:枝葉の城だけでなく、本城を狙い、領土拡大を成し遂げましょうぞ。
天正21年7月、里見家の久留里城は北条氏康の手によって落城した。
北条家は攻勢の手を休めることなく、館山城へ北条綱成の軍勢を向かわせた。
天正21年8月、館山城は落城し、里見家は北条家によって滅ぼされた。
天正21年8月、最上家は尾浦に兵を進めた。
鶴ヶ岡城にい籠る大宝寺家をおびき出すためである。
大宝寺家は長尾家と同盟を結んでいたが、この頃長尾家は武田家と村上家の争いに村上家側について戦っていたために、援軍を送ることが出来なくなっていた。
最上家はその隙を突いた。
房総半島を支配下に置いた北条家は、100万石の戦国大名になろうとしていた。
その力は畿内の三好家より強いのではないかともいわれた。
天正21年10月、最上家は大宝寺家を滅ぼし、ここに北羽前の統一を成し遂げた。
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