信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・9(北条家と伊達家の国境)
天文23年1月、最上家の天童頼長は兵1700を率いて、羽後の上桧木内に向かった。
天文23年3月、天童頼長は、天童頼貞の兵600と白鳥長久の兵600と合流し、角館城の戸沢家への挑発を始めた。
最上家としては、山形城と檜山城の間にある角館城は、交通の要衝として手に入れておき城だった。
天文23年3月、宇都宮城を攻略した北条綱成は総勢4000名の兵力で、休むことなく烏山城の那須家へ侵攻を開始した。
那須家の兵力は1000名程度しかおらず、滅亡は時間の問題に思われた。
九州南部では島津家が力をつけ始めていた。
とりわけ一門の島津義弘は、鬼島津と呼ばれるほど戦では無類の強さを発揮した。
天文23年3月、南肥後国の相良家を島津家は強襲。
相良家の本城である人吉城は、島津義弘ら兵4000の前に陥落した。
天文23年3月、九州北部では大友家と龍造寺家の戦が始まった。
龍造寺家当主の龍造寺隆信は戦には滅法強く、その家臣団も猛者揃いだったが、新興勢力だったために諸勢力への影響力は弱く、長らく九州で勢力を保持した大友家との戦いは劣勢が続いた。
天文23年3月、最上家の戸沢家への挑発に対し、戸沢道盛は角館城を出ることはなく、最上家の最初の挑発は失敗した。
天童頼長らは一端撤退することにした。
天文23年4月、那須家は圧倒的な兵力差を認め、北条家に従属した。
天文23年4月、大友家の重臣・立花道雪隊は龍造寺家の勢福寺を攻略した。
東北地方南部で勢力を拡大していた伊達家は、天文23年4月、伊達家の鬼庭左月斎が白河家の小峰城を攻略し、白河家は滅亡した。
これにより伊達家は関東地方への街道を確保したが、那須家が関東一の強国・北条家に従属したために、これより先の南下は困難となった。
このことは、のちに最上家にとって大きな災いをもたらすことになることになる。
天文23年5月、南部晴政はおよそ2500の兵力で、稗貫家の花巻城を包囲した。
稗貫家の宗主国であった斯波家は、すでに南部家との戦いで多くの兵を失っており、救援に駆けつけることは出来なかった。
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「人吉城」を検索してみましたら、10件の画像がヒットしましたよ。
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