9001 - 東武鉄道(株)

東武鉄道ですが、前回は10/4に510円で、自信をもって買い判断していますね。

http://ameblo.jp/kurasitoyume/entry-12206215215.html 

株って、ほぼ絶対こう動くということがわかる時があるんです。

前回はまさにそれでしたね。


さて、今回は会社の沿革を終戦までみていきましょう。


沿革

1895年(明治28年)4月6日:創立願い[3]。

1896年(明治29年) 6月22日:仮免状下付[4]。

10月16日:創立総会開催。役員の選任(専務取締役末延道成、取締役今村清之助、南條新六郎、原六郎、渡辺洪基)[3][5]。

1897年(明治30年) 9月3日:本免許状下付(北千住-足利間)[6]。

11月1日:企業創立(登記完了)。

1899年(明治32年)8月27日:初の路線で現在の伊勢崎線となる北千住 - 久喜間開業。

1905年(明治38年):営業不振により、根津嘉一郎(初代)を初代東武鉄道社長に迎える。

1906年(明治39年)3月16日:帝国議会の衆議院で鉄道国有法案が可決され、東武鉄道が官設鉄道による買収対象となる。しかし、3月25日に貴族院での修正可決案では除外され、同法がこの内容で公布された結果、東武鉄道は存続。

1912年(明治45年)3月30日:現在の佐野線を運営していた佐野鉄道を合併。

1913年(大正2年)3月:現在の桐生線を運営していた太田軽便鉄道を合併。

1920年(大正9年)7月22日:現在の東上線を運営していた東上鉄道と対等合併。存続会社は東武鉄道。

1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により被災。

1927年(昭和2年)10月1日:後の伊香保軌道線(1956年廃止)を東京電燈から買収(9月26日許可)[7]。

1929年(昭和4年) 10月1日:日光線全通。日本全国に先駆けて、電車による100km以上の長距離運転を実施。

10月10日:臨時で日光特急運転開始。

1931年(昭和6年) 5月25日:浅草雷門駅(現・浅草駅)に乗り入れ。根津の支援を受けて早川徳次が1925年に開業させていた東京地下鉄道(帝都高速度交通営団→東京地下鉄〈東京メトロ〉の前身)の銀座線と接続。

浅草駅の駅ビルに松屋入店。これは1920年(大正9年)11月1日 阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)の梅田駅に開店した白木屋、1928年(昭和3年)12月18日池上電気鉄道(現:東急池上線)の五反田駅の白木屋に続き日本全国で3番目のターミナルデパートとなる。

12月20日:震災復興などを理由に建設が遅れていた西板線のうち、西新井 - 大師前間が先行開業。その後、上板橋駅までの全線開業を断念し、同区間は大師線となる。

1934年(昭和9年)4月1日:川越地区でバス事業開始。

1937年(昭和12年)1月10日:現在の小泉線を運営していた上州鉄道を合併(1月9日許可)[8]。

1938年(昭和13年)4月17日:本社社屋が完成。

1941年(昭和16年)7月:根津嘉一郎(初代)の逝去を受け、根津嘉一郎(2代目)が第2代東武鉄道社長に就任。1994年(平成6年)6月まで社長職を続け、東京証券取引所上場企業の中では、史上最長期間(52年12か月)の社長職を務める。

1943年(昭和18年) 5月1日:現在の鬼怒川線を運営していた下野電気鉄道を合併(4月30日許可)[9]。

7月1日:現在の越生線を運営していた越生鉄道を合併(6月10日許可)[10]。

1944年(昭和19年)3月1日:現在の野田線を運営していた総武鉄道を合併。

1945年(昭和20年) 3月10日:東京大空襲により浅草地区を中心とした伊勢崎線沿線が被災。

4月13日:空襲により池袋地区を中心とした東上本線沿線が被災。東武堀之内駅(1951年に北池袋駅として復活)と金井窪駅が廃止。



2016年12月23日 金曜日 20:17 池袋


投資判断ですが、時価総額は売上高を少し超えていますが、営業利益率が10%あるので割安感を感じます。

チャートはBOX相場で決して安い位置ではないので、今の株価より下げる場面もあるとは思いますが、私の投資判断は買いで、おすすめ銘柄です。

空売りもありますし、ボックスの底割れは考えにくい点も良いです。

株式投資家の暮らしと夢

初めまして、kurasitoyumeと申します。 wiki等の情報を参考に、企業情報を確認して、その銘柄の投資判断くだす記事をメインに書いてます。 サブ記事でポケモンGOレポートを書いています。

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