信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・17(武田家VS斉藤家)
天文24年7月、北陸地方の高岡城における長尾家と本願寺家の戦いは長尾家の勝利に終わった。
長尾家はこの勝利により、越後に続き越中も支配する、大大名へと名乗りを上げた。
天文24年8月、南部晴政は兵1600にて高水寺城へ侵攻した。
対する斯波家は雫石詮貞が兵500にて出陣した。
戦いに明け暮れる南部晴政だったが、諸勢力をも味方につけた南部家が圧倒的優位に戦を展開した。
北陸戦線で早々に勝利した長尾家は、本願寺家から降った下間頼廉を先陣に、武田家の葛尾城に向けて進軍した。
美濃の斉藤家に攻め込んでいた武田信繁や飯富昌景らにも長尾家の武田領への侵入は伝わっていたが、重臣の馬場信春から「戻るに及ばず」との伝言を受け、引き返すことはしなかった。
浅井家からの侵攻は難なく撃退した斉藤家は、その軍勢を美濃東部に侵入した武田家に向ける。
天文24年8月、武田家の攻勢はすさまじく、西部戦線からの斉藤家の救援が到着する前に、苗木城は陥落。
岩村城も包囲されようとしていた。
天文24年9月、長尾家と武田家は、再び葛尾城をめぐって激突した。
長尾家兵5500に対し、武田家はわずか兵2000ほどだった。
武田家からの侵攻に救援を向かわせていた斉藤家だったが、思わぬところからそれを阻む動きが起きていた。
三河の松平家が同盟国の織田領を抜けて、郡上八幡城に侵攻してきたのだ。
これにより、斉藤家の防衛体制は崩壊した。
天文24年9月、九州西部では、大内家が龍造寺家の高城城に侵攻したが、この戦いは龍造寺家の勝利に終わった。
天文24年9月、最上義守の下に、間者から第一報が寄せられた。
我らの独鈷城に南部家が兵3300で侵攻の知らせだった。
最上義守:ついにきたようだ。氏直よ、勝てるか?
氏家氏直:今回は勝てるかと存じます。
:当主の晴政は斯波家と戦っており、兵は二分されておりますゆえ。
:安東愛季が裏切らずに、檜山城から兵を出せば、ですが。
最上義守:裏切ることはないと申したのは、そなたではないか。
氏家氏直:何が起こるかわからないのが戦。
:ゆえに、出来ることをやるのみです。
:殿、この機会に南部家への侵攻を開始すべきです。
:頼長を山形城へ呼び戻し、また、戦の触れを領内に出しましょう。
最上義守:最上家の興亡は、この一戦にかかっておるな。
氏家氏直:頼長は東北一の豪傑。必ずや南部家を滅ぼしてくれましょう。
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