信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・25(前田利家の結婚)
南部家の石川高信隊によって包囲された高水寺城であったが、陸中国の本城でもあり、そう簡単には落城はしなかった。
弘治3年10月には小野寺輝道隊が救援に到着し、石川高信隊は退却した。
弘治3年10月、尼子家は再び兵3000で、浦上家の津山城に侵攻した。
浦上家も同等の兵を集め、重臣の宇喜多直家らが迎え撃ち、翌月には尼子家は撤退した。
弘治3年10月、島津家は佐土原城を包囲した。
城内では大名の大友宗麟自ら指揮を執り、救援を待った。
弘治3年10月、最上家の豊島重村が大崎家に寝返った。
大崎家は伊達家の属国であり、最上家家中では大崎家と伊達家への怒りが増していった。
弘治3年10月、長年、南部家と最上家の間で独立を保っていた戸沢家が、南部家と同盟を結んで最上家に敵対を表明した。
南部家との戦に出陣していた天童頼長隊をこれを見逃さず、角館城を避けることなく、北上した。
角館城は最上領のほぼ中央に位置していたので、これを自国領とすることが出来れば、南部家との戦いに有利だと考えたからだ。
翌11月、天童頼長隊は迎撃に出た戸沢道盛隊と交戦し撃破し、城を包囲した。
弘治3年11月、大軍勢の島津軍は佐土原城を包囲する傍ら、大友家の高城へも当主の島津貴久が兵を進め、その月のうちにどちらも攻略した。
この勝利により島津家の本城は4つとなり、大友家の九州統一を阻止できる存在になった。
弘治3年11月、南部家が再び最上家の独鈷城に向けて、兵3100で侵攻してきた。
最上家は財力のかなりの部分を投入して、本城の山形城を強化した。
弘治3年12月には、二の丸の増築を開始した。
弘治3年12月、最上家の本体が角館城に取り付いていたため、独鈷城付近での戦いは南部家が有利に戦いを進めた。
織田家家臣・前田利家。
恵まれた体格と激しい気性を持ち、
槍働きと得意とする武辺者で「槍の又左」などと周囲から呼ばれており、
喧嘩や奇矯な振る舞いの目立つ傾奇者としても知られていた。
そんな利家もいくつかの武功を重ね、
めでたく信長側近の精鋭「赤母衣衆」の筆頭となると、嫁取りを決意した。
まつ:兄上さま、何故に私を選んでくださったの?
利家が嫁に迎えたのは、幼い頃から兄妹のように共に育った従兄妹のまつであった。
前田利家:そ、その「兄上さま」はやめろって!
:俺たちはもう、夫婦、なんだからよ。
まつ:これは、申し訳ございませぬ。
:なかなか癖が抜けなくて
前田利家:そうか・・・・・・。
:いや、おいおい直せばいいんだけどよ。
まつ:それで、何故に私を嫁に?
:父上も、母上も驚いておられました。
前田利家:そりゃお前・・・・・・
:お前を放ってはおけねえからさ。
前田利家:親父に死なれ、お袋に追い出され・・・・・・
そんなお前を放っておいたら、あれだ、男がすたるって奴だ!
まつは利家の従兄妹ではあるが、同じ家に生まれたわけではない。
まつは実の父を失い、母が再婚するにあたって、前田家に預けられることになったのである。
前田利家:まあ、なんだ。
:これからは俺がずっと一緒に暮らす。
:何も不自由もねえし、案ずることもねえ!
まつ:はい・・・・・・わかりました。
:これよりは心安らかに、ここで暮らすことにいたします、お前様。
前田利家:おう!任せておけ!
:俺は今日で傾奇者もやめる!
:お前に、うんと楽をさせてやるからな!
前田利家とその妻まつ
後に二男九女をもうけ、現代までおしどり夫婦として伝わる
二人の生活が、ここに幕を開けたのであった。
ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は
「前田利家」を検索してみましたら、82 件 の画像がヒットしましたよ。
http://amanaimages.com/keyword/result.aspx?Page=Search&KeyWord=%91O%93c%97%98%89%c6&ImageID=
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