5541 - 大平洋金属(株)
大平洋金属株式会社は、青森県八戸市に拠点を置くフェロアロイ(合金鉄)メーカーです。
フェロニッケル製錬の大手企業です。
社名の読みは「たいへいよう」で英文社名も「Pacific」を使うが、大平洋金属であり太平洋金属ではありません。
新日鉄住金系です。
ステンレス原料のフェロニッケル製錬で世界3位です。
ニッケル価格で業績変動します。
概要を見てみましょう。
鉄とニッケルの合金で、ステンレス鋼の原料となるフェロニッケルの専業メーカーです。
フェロニッケルは鉱石を電気炉で製錬して製造されるが、その製錬過程で発生するスラグを加工した人工砂・石の製造も行います。
かつてはステンレス鋼そのものの製造も行っていたが、1999年(平成11年)に撤退しています。
製造拠点の八戸製造所は、青森県八戸市河原木にあります。
登記上の本店(東京本店と称する)は東京都千代田区大手町1丁目の大手町ビルにあるが、実質的な本社機構(八戸本社と称する)は八戸製造所と同地にあります。
このほかにも、大阪市と仙台市に事務所を、鉱山開発関連でフィリピン・タギッグとインドネシア・ジャカルタに海外事務所を置いています。
1949年(昭和24年)に、日曹製鋼として日本曹達より独立して発足したが、現在では同社と資本関係はありません。
1970年(昭和45年)に現社名となっています。
沿革を見てみましょう。
1949年(昭和24年)12月1日 - 日本曹達株式会社の鉄鋼部門が独立し、日曹製鋼株式会社設立。
1952年(昭和27年)1月 - 東京証券取引所・大阪証券取引所に株式を上場。
1954年(昭和29年)3月 - フェロニッケルの製錬を開始。
1957年(昭和32年)5月 - 砂鉄銑の製銑工場として、八戸工場(現・八戸製造所)が完成。
1959年(昭和34年)5月 - ニッケル製錬部門を大平洋ニッケル株式会社として分離。
1966年(昭和41年)11月 - 八戸工場でフェロニッケルの生産を開始。
1966年(昭和41年)12月 - 八戸工場でステンレス鋼の生産を開始。
1970年(昭和45年)1月 - 日曹製鋼が大平洋ニッケルを吸収合併し、大平洋金属株式会社に商号変更。
1983年(昭和58年)6月 - 研削材部門を大平洋ランダム株式会社に移管。
1984年(昭和59年)7月 - 鋳鋼部門・鍛鋼部門・機械部門をそれぞれ大平洋特殊鋳造株式会社、大平洋製鋼株式会社、大平洋機工株式会社に移管。
1997年(平成9年)1月 - 株式会社大平洋エネルギーセンター設立。
1999年(平成11年)9月 - ステンレス鋼・その他非ニッケル部門から撤退し、フェロニッケル専業メーカーとなる。
2007年(平成19年)11月5日 - 八戸製造所で電気炉の爆発事故、2名死亡。
2009年(平成21年) - 名古屋証券取引所上場廃止。
主なグループ企業
株式会社大平洋エネルギーセンター - 独立発電事業者 (IPP)。2000年(平成12年)7月より東北電力に電力供給開始。
株式会社パシフィックソーワ - グループ企業の製品などを扱う商社。 大平洋製鋼株式会社 - パシフィックソーワ傘下で、富山市を拠点とする鍛鋼メーカー。
大平洋特殊鋳造株式会社 - パシフィックソーワ傘下で、新潟県上越市を拠点とする鋳鋼メーカー。
米子製鋼株式会社 - パシフィックソーワ傘下で、鳥取県米子市を拠点とする鋳鋼メーカー。
大平洋ランダム株式会社 - 研磨材メーカー。
大平洋機工株式会社 - 産業用ポンプ・ミキサーなどのメーカー。荏原製作所系。
関連項目
ラサ商事株式会社 - 一時関連会社であった。
八戸工場大学「虹色の狼煙」 ドキュメント映像
変わった動画ですよね。
アートのイベントをやったのでしょうね。
その時のドキュメント動画ですね。
さて、投資判断ですけれども、時価総額は売上高の1.5倍以上あるのですが、赤字企業です。
売上高は急減していまして、ビジネスモデルの崩壊を感じさせる状態です。
ではなぜ、これだけの時価総額は維持しているかというと、財務が強いからですね。
信用倍率は、空売りも入るようですが、買い残がかなり多いです。
チャートは底値圏で、仕込みの出来高の山も出来ています。
ただ、この業績の悪化が止まる気配がありません。
このビジネスが通用するのかどうか、素人の私には判断出来ないことから、私の投資判断は今回は見送ります。
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